被災地を訪れて!想像を超えていました。
9月2日に苫小牧からフェリーに乗り、9月3日八戸に到着。台風12号の為に上陸時は雨。本州は暑い。気温27度湿度70% レインウエアーの中はサウナ状態。不安定なナビを頼りに、八戸から東北自動車道を利用して南下、東北横断道路を使い釜石に向かい、国道45線を使い仙台を目指しました。釜石港にはパナマ船籍の全長100m 以上の船が、打ち上げられて道路に飛び出しています。至る処の陸上に打ち上げられた船、町の中の信号は機能せず、人影もまばらです。大船渡に向かう道には流された車が整然と並べられ、瓦礫の山が続きます。大船渡に入り海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校が見えて来ました。この小学校には非常用の通路があり、地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向い避難出来たそうです。そのまま、南下を続け陸前高田に向かいます。瓦礫や車など道路脇に続きます。ほんとに大きな建物以外は見えず、しばらく行くと岩手県立高田病院が見えて来ました。此処も甚大な被害あった所で、震災直後、屋上に100人ほどの避難していた所でした。地盤沈下の為に湿原の様になっています。海水をかぶった為か、雑草が少なく感じました。気仙沼では、火災による影響か?車の錆や車体の変形もひどい物でした。次に南三陸町に入りました。鉄骨のみになった、防災対策庁舎が見えて来ました。南三陸町HPをみて頂くと当時のすごさがわかります。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf そして、公立志津川病院です。津波は4Fまで達したそうです。病院に前にある瓦礫は病院の中にあった物との事でした。病院の裏側には船が乗ったままでした。現場で現実を眼の前にすると声も出ませんでした。病院前に、ガソリンスタンドがあり、給油しながら、いろいろおしえて頂きました。ガソリンスタンドでは、「もう少しで大潮と雨なので、道路が冠水するので早く走り抜けた方が良いですよ」と言われ足早に仙台に向かう事としました。仙台まで無言でバイクのハンドルを握っていました。海岸沿いは工事関係者の方ばかりでした。通常のレベルを超えていて、復興は簡単にはいかない、更にどうしたらよういのか!半年経っても・・・その後、仕事先の仙台に到着。9月3日はお勉強をして、9月4日には志津川病院が設置されている、よねやま診療所を訪ねました。自分の職場で集めた、義援金、メッセージなどをお渡しして、よねやま診療所を後にしました。台風の為に北海道へ戻る経路が大きく変わり、仙台苫小牧が欠航、その後、八戸苫小牧が欠航、その為に靑森函館間で戻りましたが、函館港では強風の為に接岸に時間がかかり、札幌に着いたのが朝の3:00その後、職場の美唄に向かました。9月7日には報告会を職場で開きましたが、具体的な事は・・
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